Search
国際情報
International information

「スポーツ・フォー・オール」の理念を共有する国際機関や日本国外の組織との連携、国際会議での研究成果の発表などを行います。また、諸外国のスポーツ政策の比較、研究、情報収集に積極的に取り組んでいます。

知る学ぶ
Knowledge

日本のスポーツ政策についての論考、部活動やこどもの運動実施率などのスポーツ界の諸問題に関するコラム、スポーツ史に残る貴重な証言など、様々な読み物コンテンツを作成し、スポーツの果たすべき役割を考察しています。

日本カーリング界の盛り上がりと展望(前編)

~マーケティング委員・岩永 直樹氏インタビュー~
岩永直樹氏(JCAマーケティング委員・国際委員)

岩永直樹氏(JCAマーケティング委員・国際委員)

去る22日から開催された「日本カーリング選手権大会 横浜2025」(以下、横浜2025大会)は、初の首都圏開催となり、連日にわたって白熱した試合が展開された。また、世界上位のチームしか招待されないGrand Slam of Curlingに、今季は女子の4チームが同時出場したことをはじめ、ジュニアからシニアに至る各年代の世界での活躍が際立っている。

そうした日本カーリングの盛り上がりを支え、ファンコミュニティの紐帯として一役買っているのが、日本カーリング協会(JCA)のYouTubeチャンネルでの企画「#カーリング沼 へようこそ(以下、カーリング沼)」である。その立ち上げから運営に携わっている岩永直樹氏(JCAマーケティング委員・国際委員)に、横浜2025大会の成功やJCAとしてのマーケティング戦略、そして今後のカーリング界の展望についてうかがった。

大成功だった横浜2025大会

―― 先日の横浜2025大会は、首都圏では初の開催であり、またカーリング専用ではないアリーナでの開催も初めてという、画期的な大会でした。

本当に素晴らしい雰囲気でした。連日2,000人近い観衆のみなさんに訪れていただき、良いショットにはどのチームにも公平に大きな拍手が送られ、会場のみならず生中継や報道などを通じてカーリングへの理解が深まり、カーリング文化への共感が確実に広がっていると感じました。

画像提供:日本カーリング協会(日本カーリング選手権大会 横浜2025 公式サイトより)

画像提供:日本カーリング協会(日本カーリング選手権大会 横浜2025 公式サイトより)

―― このタイミングでの首都圏やアリーナでの開催は、ねらい通りだったのでしょうか。

元々、横浜での開催は、2021年大会の可能性を検討したことから始まりました。横浜市と記者会見まで行ったものの、残念ながら新型コロナウイルス感染症の影響で断念せざるを得ませんでした。そのような中で、2022年の北京オリンピックで日本代表女子チームが大活躍し、2022年後半頃から少しずつスポーツ大会を開催できる雰囲気が醸成されて、さらに横浜BUNTAIが2024年春にオープン予定でしたので、その翌冬にあたる2025年の開催がひとつの大きな目標になりました。

―― 新型コロナウイルス感染症に翻弄されたものの、結果として素晴らしい大会に結実しました。

横浜BUNTAIの新設を契機に、横浜市と改めて協力しながら、新しいコンセプトで盛り上げていこうというストーリーが出来上がりました。この方向性が明確になったことで、プロジェクトの動きが加速し、関係者の期待感も大きく高まったと考えています。2019年頃からマーケティング委員会と事務局が中心となって長く検討を重ねてきたこと、そして私自身としても以前から夢見ていたことでもありましたので、非常に感慨深いものがあります。

#カーリング沼へようこそ」のはじまり

―― 2019年頃からの検討というと、岩永さんがJCAのマーケティング委員に就任された時期と重なります。

私がマーケティング担当になったのは、2018年の平昌オリンピック終了後のことでした。当時のJCAにはTwitterやInstagramといった、今では当たり前の情報発信ツールが存在していなかったのです。私自身、カーリングに興味を持ってくれた方とSNSを通して交流し、ファンと一緒にカーリングを盛り上げていくことに大きな可能性を感じていたので、そうした思いを持って委員に加えていただきました。

―― 平昌オリンピックと言えば、たしか朝日新聞で解説記事を掲載されていましたね。

その当時はチーム東京の現役選手でしたが、朝日新聞からオンライン記事を魅力的なかたちで発信したいという相談がありました。そこで、チームメイトと一緒に、仕事を終えてから新聞社に行き、試合中継を観ながら解説するものをオンライン記事としてライブ配信することを実現しました。これがファンとのコミュニケーションの一つの起点になりました。

―― 平昌での女子日本代表のロコ・ソラーレの銅メダルや、もぐもぐタイムなどが注目されたこともありましたが、ファンのつながり方という意味ではターニングポイントとなったように思われます。

2018年にJCAのTwitterやインスタグラムが立ち上がり、ファンのたまり場というか、SNS上でカーリングファンのクラスター化が起きていたではないかと考えています。オリンピックの、4年に1回のブームで終わるのではなく、カーリングの普及やファン層の拡大にいかにしてつなげていくか。2018年は、水面下でそういう土台ができたのは大きな成果のひとつではあるものの、同時に課題も感じつつ、という状況でした。

―― その平昌から北京という4年間が、カーリングファンの盛り上がりにつながっていったのではないかと、外部からは見受けられました。

その時期は、やはり新型コロナの影響が甚大で、大会が中止となる、アスリートとしての活躍の場が失われる、スポンサーも含めて活動の基盤が崩れていく、という危機感がとても強くありました。そこで2020年に、トップアスリート数名の協力を得て、SNS上でカーリングの4択クイズを出題し、後日解説を投稿する企画を行いました。逆境のなかで、アスリートとJCAが協力してファンを楽しませるきっかけを作ったと感じています。

―― それが『カーリング沼※1』につながった。

※1 2022年1月から、岩永氏が企画や配信準備・操作・進行を担当し、概ね毎月1回のペースでYouTube配信。毎回2〜5人のトップアスリートがチームの垣根を越えて参加し、カーリングの作戦や大会の振り返りなど、1時間強にわたってカーリングの魅力をたっぷり語り合い、毎回数百人の同時接続参加者で賑わう人気企画となっている。

2022年の北京オリンピックは、女子日本代表として出場したロコ・ソラーレにとってはもちろん活躍の機会になる一方で、他の国内チームにとっては出られる大会もなくて、将来に確信を持てる状況ではありませんでした。そんな2021年末に、その頃検討されていたルール変更について、JCAのYouTubeチャンネルでアスリート委員会のメンバーとオンライン対談を行いました。これが非常に反響を呼んで、私自身も手応えがあって、選手たちと一緒にファンへの直接アプローチすることが可能だと実感しました。これを山口選手(SC軽井沢クラブ)や近江谷選手(フォルティウス)らと急ごしらえで実施し、生まれたものが『カーリング沼』ですね。

―― 「カーリング沼」は、選手とファン、そしてJCAがYouTubeチャンネルを介してひとつのコミュニティとして盛り上がる、他の競技にはあまり見られない独特の世界観を醸し出しています。

カーリングはプレーが止まった状態で考える場面が多いため、試合中にファンとコミュニケーションを取りながら発信する、知識を深めることに向いている競技だと思います。私自身は選手としての経験があり、JCAの担当者でもあり、さらに当時はアメリカに駐在しているという特異な立ち位置で、いろんな角度からの視点がファンの皆さんに響いたところがあったのではないかと思います。さらに当時は新型コロナの影響下で、オンラインでできることを試行錯誤しながら、一気に世界が変わっていく瞬間を実感していました。それが結果として、パズルのピースがはまるように「カーリング沼」というかたちに結ばれていったのだと感じています。

▸後編へつづく

  • 岩永 直樹 岩永 直樹 公益社団法人日本カーリング協会 マーケティング委員(副委員長 #カーリング沼 担当)・国際委員

    東京大学農学部卒。同大学院 農学生命科学研究科、2009年修士課程修了。同年、味の素株式会社入社。2018年、公益社団法人日本カーリング協会参画。以降、会社員とカーリング協会、二足の草鞋を履く。
    大学入学と同時にカーリングを始める。1998年長野オリンピック代表の大澤明美氏から競技チームとしてのあり方を学び、主にスキップとして「チーム東京(I.C.E.)」で15シーズンプレーした。主な成績は、日本選手権準優勝3回(2008、2014、2016)、ユニバーシアード冬季競技大会出場(ハルピン・2009)。
    2018年にカーリング競技の前線から離れたものの、同年、日本カーリング協会にマーケティング委員として参画した。カーリングの裾野拡大、認知拡大のために、SNSによる発信を強化。自身の選手としての経験を活かした細やかな解説で、カーリングの魅力を分かりやすく伝えている。YouTube「#カーリング沼 へようこそ!」も担当し、2022年北京オリンピック時には、約1ヶ月強の間に16回もライブ配信を実施し注目を集める。ファンとの距離を縮める活動を行っている。
  • 熊谷 哲 熊谷 哲 上席特別研究員

    1996年、慶應義塾大学総合政策学部卒業。岩手県大船渡市生まれ。
    1999年、京都府議会議員に初当選(3期)。マニフェスト大賞グランプリ、最優秀地域環境政策賞、等を受賞。また、政府の行政事業レビュー「公開プロセス」のコーディネーター(内閣府、外務省、厚生労働省、経済産業省、国土交通省、環境省など)を務める。
    2010年に内閣府に転じ、行政刷新会議事務局次長(行政改革担当審議官)、規制・制度改革事務局長、職員の声室長等を歴任。また、東日本大震災の直後には、被災地の出身ということもあり現地対策本部長付として2か月間現地赴任する。
    内閣府退職後、(株)PHP研究所を経て、2017年4月に笹川スポーツ財団に入職し、2018年4月研究主幹、2021年4月アドバイザリー・フェロー、2023年4月より現職。
    著書に、「よい議員、悪い議員の見分け方」(共著、2015)。

熊谷 哲 論考